文學(xué)の勧善懲悪について
――『七俠五義』と『南総里見(jiàn)八犬伝』を中心に
院(系) 外國(guó)語(yǔ)學(xué)院
專(zhuān) 業(yè) 日語(yǔ)
要旨
周知のように、昔から中日の各分野での交流があるので、中國(guó)と日本における文學(xué)の創(chuàng)作理念もたくさんの繋がりを持つと思われる。勧善懲悪という創(chuàng)作理念も例外ではない。中國(guó)と日本における勧善懲悪という創(chuàng)作理念は中日文學(xué)の交流につれて、必ずや類(lèi)似點(diǎn)と相違點(diǎn)があるだろう。本稿は、19世紀(jì)を舞臺(tái)とし、中國(guó)の『七俠五義』と日本の『南総里見(jiàn)八犬伝』を中心に、文學(xué)における勧善懲悪の差を検討する。その相違が生まれたのは、19世紀(jì)の中國(guó)と日本での政治制度、経済狀況、主流思想の相互作用の結(jié)果と考えられる。
キーワード:南総里見(jiàn)八犬伝;勧善懲悪;七俠五義;文學(xué)
Abstract
As is known to all,there is a long history cultural e*change between China and Japan.So literary creation in two country has many relationship.As is the idea of "punish evil-doers and encourage people to do good"in literature.In spite of how many similarities ,diversities are e*ist. In this thesis,take Chinese
……(新文秘網(wǎng)http://m.jey722.cn省略1124字,正式會(huì)員可完整閱讀)……
文志•諸子略』で小説について論じられた時(shí)に、「君子不為」「小道」が引用された。そこから、「君子不為」「小道」の文學(xué)での地位が上昇したことが確認(rèn)できる。その地位が上昇したのは、「教訓(xùn)」の意味が含まれているからである。(秦川 2003 p.88)
また、指摘しなければならないのは、「勧善懲悪」は儒教の専有理念ではなく、道教の「神道設(shè)教」と仏教の「因果観」にも含まれている。中國(guó)では、勧善懲悪という創(chuàng)作理念は各z-教の教義を媒介として伝われている。
それに対して、その時(shí)の日本は町人文學(xué)が臺(tái)頭し、儒學(xué)も盛んな時(shí)を迎えた江戸時(shí)代だった。江戸時(shí)代は、日本の歴史において徳川將軍家が日本を統(tǒng)治していた時(shí)代である。徳川時(shí)代とも言う。この時(shí)代の徳川將軍家による政府は、江戸幕府あるいは徳川幕府と呼ぶ。江戸時(shí)代は普通四つに分けられる。それぞれ、江戸時(shí)代前期、江戸時(shí)代中期、江戸時(shí)代後期、江戸時(shí)代末期である。
江戸幕府の初代將軍の徳川家康は、貿(mào)易拡大のためキリスト教を一時(shí)的に黙認(rèn)していたが、しだいに増大した勢(shì)力を恐れて、1612年に禁教令を出し、1639年までにポルトガル船の來(lái)航を禁止する五つの鎖國(guó)令を出した。以後、200年あまりにわたり、日本は、キリスト教の布教に関係しないオランダ、中國(guó)、朝鮮以外の國(guó)々との交渉を閉ざした。(日本概観 苑崇利 2008 p.75-76)
そこから江戸時(shí)代に、中日との間に交流があることが確認(rèn)できる。そのために、その時(shí)の中日文學(xué)において勧善懲悪という創(chuàng)作理念が少し類(lèi)似することがあると思われる。
本稿には、勧善懲悪という創(chuàng)作理念を中心に、ほぼ同時(shí)期に現(xiàn)れた文學(xué)作品ーー中國(guó)側(cè)の石玉昆著の白話小説『七俠五義』と日本側(cè)の曲亭馬琴著の白話小説『南総里見(jiàn)八犬伝』の中での勧懲観を比較し、善悪の判斷基準(zhǔn)の差が生まれた原因を政治制度、経済狀況、思想の面から検討したいと思う。
第1章 文學(xué)の勧善懲悪について
1.善∙悪とは
勧善懲悪と言うと、善と悪の異同點(diǎn)を區(qū)別しなければならない。スーパー大辭林3.0によると、善とは一定の使用、行為、道徳、秩序などにおいて、人や物の性質(zhì)(価値)がよいこと、望ましく優(yōu)れていることと指摘している。筆者はそれを社會(huì)的な規(guī)範(fàn)に是とされる存在、行為などを指すものと理解する。社會(huì)規(guī)範(fàn)はありたいにいえば所屬する集団のルールのことである。例えば、z-教では戒律やz-教指導(dǎo)者の教えのことである。西洋哲學(xué)において「善とは何か」を議論探求する學(xué)として倫理學(xué)がある。それは道徳的な卓越の事であり、プラトンの言う「アレテー」(卓越性)を指すものである。相対的により良いわけではなく、絶対的な良さといえるもののことである。
また、西洋思想では「善」の反対概念は「悪」であるが、東洋の仏教思想においては「善 (仏教)」の反対概念は「煩悩」である。そのために、苑崇利(2008)は「仏教の教えでは、人間には108の『煩悩』がある(p.42)」と述べている。仏教思想では「善」は心についての概念である。ただし、メタ倫理學(xué)の立場(chǎng)からは、仏教的な「善」の概念も「善」を記述する上での立場(chǎng)の一つとして相対化される。
一方、日本語(yǔ)における「悪」という言葉は、もともと剽悍さや力強(qiáng)さを表す言葉としても使われ、否定的な意味しかないわけではないと考えられる。例えば、源義朝の長(zhǎng)男・義平はその勇猛さから「悪源太」と稱(chēng)されている。鎌倉(cāng)時(shí)代末期における悪黨もその典型例であり、力の強(qiáng)い勢(shì)力という意味である。しかし、中國(guó)から受けられた「悪」という道徳上の概念は、悪いことをし、「人の初め
性本善」に反対することである。本稿では、「悪」の意味は後者のような道徳上の概念を取り扱う。
善と悪との間の境界が明らかではないとよく言われる。人間が善悪を意識(shí)、判斷する場(chǎng)合は様々であるが、家庭での躾をはじめ、教育、スポーツ、法律などで、秩序を必要とするあらゆる場(chǎng)面で見(jiàn)出せる。生活に即したものとしてz-教や娯楽や伝承として物語(yǔ)の上で取り上げられることも多い。その際は、善をすすめ悪を懲しめること(勧善懲悪)、善と悪との対決などがしばしば注目される。
善と悪は解釈や判斷によって入れ替わる場(chǎng)合もあるため、人間は善と悪の矛盾體に見(jiàn)えるようになる。規(guī)則(ルール)や規(guī)範(fàn)というものが存在したのは、曖昧性をできるだけ避けるためにそのような形を取る必要があるのだと思われる。
2.勧懲観の由來(lái)
文學(xué)作品の中には、「善を勧め、悪を懲しめる」ということを主題とする作品がある。それらの作品の魂の「勧善懲悪」は、「勧懲」と略して使われることもある。朱子が『詩(shī)集伝』の序で、「勧懲観」について、「人心之感物而形于言之余也。心之所感有邪正、故言之所形有是非」と記した。そこから見(jiàn)れば、聖人孔子は詩(shī)を編集し直すのは、「思無(wú)邪(思い邪無(wú)し)」をきっかけにしたのではないだろうか。もしある人は性格がいいなら、指導(dǎo)できるが、性格が悪いなら、戒めるしかない。悪を戒める倫理規(guī)範(fàn)や、因果応報(bào)を説く思想はさまざまな社會(huì)集団やz-教で見(jiàn)られる。本稿では物語(yǔ)の一種類(lèi)の作品での「勧善懲悪」を中心に扱う!竸嵘茟蛺櫋工稀附U世致用」に伴い、社會(huì)秩序を規(guī)範(fàn)とするものである。
日本文學(xué)は、中國(guó)の文學(xué)作品の創(chuàng)作観の影響を受けた歴史が長(zhǎng)い。奈良時(shí)代には、『詩(shī)大序』を代表する詩(shī)論が日本に伝わった時(shí)に、それなりの思想、精神も地域の移動(dòng)とともに、日本に伝えられた。『詩(shī)大序』によると、「経夫婦、成孝敬、厚人倫、美教化、移風(fēng)俗」と書(shū)かれている。それすべては文學(xué)上の道徳目的と役割を論じることである(儒家思想與日本文化 王家驊 1990 p.365)。そこから見(jiàn)ると、「文以載道」という創(chuàng)作観は、その時(shí)にすでに日本に伝えられたと考えられる。その後、幕府時(shí)代に入った ……(未完,全文共13267字,當(dāng)前僅顯示3156字,請(qǐng)閱讀下面提示信息。
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